宮地先生の部屋
★子どもに読ませたい本・特別編★
~ハン・ガン 6作品のご紹介~
2024年度ノーベル文学賞を受賞した韓国の女性作家ハン・ガン氏の作品をご紹介します。
私が最も衝撃を受けた「少年が来る」を筆頭に、どれも胸を打つ名作ぞろいです。
「少年が来る」(2016年)
朴正熙が暗殺された直後から韓国では軍による戒厳令が施行され、民主化を求める運動に容赦ない弾圧を加えました。1980年、全羅南道出身の民主化指導者である金大中(のちの大統領)に死刑判決が下されたことによって、全羅南道の中心年である光州では、学生・市民が激しく抵抗し、1980年5月18日にほぼ無抵抗の学生・市民を軍が下は小学生から高齢者まで、病人や妊婦に至るまで数百人が虐殺された光州事件を扱っています。
作者は1970年光州生まれ。9歳の時に事件が起こっています。1994年に作家としてデビューした作者は、この事件を小説化するために、膨大な資料を読み込み取材をしました。作品が完成したのは作者が40代半ばになってからでした。スピルバーグにおける「シンドラ―のリスト」のように、このテーマを乗り越えなければ次には進めない、という決意で書かれた渾身の一作であり、読者にも覚悟を強いる作品です。
互いを探しながら死者となった二人の少年が霊魂となったまま語る第1章「幼い鳥」第2章「黒い吐息」が圧巻です。私は第3章になかなか進むことが出来ませんでした。平易な文体なのですが、1ページ読むのに大変な魂のエネルギーを要します。中盤部分は殺された少年の姉を中心として、生き延びたものの社会から迫害される家族や、拷問で痛めつけられ、心身ともに追い詰められる活動家の姿が描かれ、最終章には作者を彷彿とさせる少女が語り部として登場します。死者と生者の声が交錯し響き合う、生死の境を越えた鎮魂の物語です。
「別れを告げない」(2024年)
共産化を恐れた軍部と自警団と称する民兵による済州島住民に対する虐殺。1948年に起きた4・3事件を生き延びた人びとの痛みをテーマとした本作品は、苛烈な弾圧の記憶を「哀悼」という言葉で忘却を強いる歴史の圧力に抗する人間の姿を二人の女性を通じて重厚に描き出した作品です。
「少年が来る」では1980年の光州事件における軍部による国民の虐殺を、己の魂を主人公たちと一体化させて悲痛な文体で書いたのに対し、本作品はあえて主人公たちと距離を取り、緻密な文体と考え抜かれた構成で書いています。
「菜食主義者」(2011年)
日本以上に、封建教学である儒教道徳に今も支配される韓国社会で、女性が自由に生きるのがいかに困難であるかがよくわかる2作です。夫だけではなく、兄弟・義父母・実の父母・会社の上司・同僚・近隣住民と様々な方面からの圧力で、徐々に壊れていく女性の姿が過激な形で書かれていますが、肝心なのは、夫が妻の敵ではなく一般的には理解がある夫として書かれていること。作者は個人の性格や相性・努力ではなく、社会のシステム自体に問題がある、と訴えています。
「ギリシャ語の時間」(2017年)
これぞまさに「THE・文学」。視力を失いつつある男性と言葉を失った女性の恢復と再生の物語です。比喩表現がこのうえなく美しく、うっとりするようなギリシャ語の響きも素晴らしい。美しい言葉で紡がれた絹糸のような作品です。ストーリーも巧みで、今回紹介した作品の中で最も純粋で静謐な小説といえるでしょう。
「すべての、白いものたちの」(2023年)
おくるみ・うぶぎ・しお・ゆき・こおり・つき・こめ・なみ・・と「白いもの」の目録を書きとめ紡がれた65の物語。生後すぐに亡くなった姉をめぐり、ホロコースト後に再建された北方の街ワルシャワと韓国ソウルの記憶が交差し、散文詩のような文体で語られます。余白から、深く、滲み出る感情が伝わってきます。目の前の幻想的な風景の映像的描写が見事です。斎藤真理子さんの邦訳が見事です。
「回復する人間」(2019年)
大切な人の死や病などで絶望的な痛みを抱えた人間が、光を求めてふたたび歩みだす姿を描いた七つの物語。2003年~15年に発表した小品を一冊にまとめたもので、ハン・ガンの作品が世に高く評価されるきっかけとなった作品です。山田詠美の名作「晩年の子供」を読んだ時と同じ読後感を感じました。
※Facebookに、本の画像があります→こちら