教室だより123

専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)

【連載第123回】

47年ぶりの再会

 

 この夏、私は因島に帰省する途中に大阪に立ち寄りました。以前から行ってみたかった民俗学博物館を訪れるためです。博物館は万博記念公園の中にあるのですが、駅に降り立って数歩いくと道を挟んだ向かいにまるで怪物のようにたちすくむあの塔が見えました。そう、巨匠・岡本太郎作「太陽の塔」です。浦沢直樹の「二十世紀少年」でご存知の方も多いでしょうね。
 日本で初めて開かれた万国博覧会であった1970年の大阪万博。のべ入場者数は6421万人。この記録は2010年の上海万博開催までは世界一の記録でした。アポロ12号が持ち帰った≪月の石≫を展示して最も人気のあったアメリカ館の待ち時間は平均5時間。テーマは「人類の進歩と調和」でしたが、あまりの異常な混雑ぶりに「人類の辛抱と長蛇」と皮肉られたほどでした。

 そんな万博に5人の息子を引き連れていった父の決意は今思うと並々のものではなかったはずです。上の兄たちは科学的好奇心で大いに目を輝かせていましたが、当時6歳の私は生まれて初めて乗った「超」満員電車にパニックになり途中駅で脱兎のごとく逃げ出し、慌てて降りた父に捕まるとホームに大の字になり、「殺せーっ」と泣きわめいていたそうです。
 さらに会場で「迷子ワッペン」なる代物をつけさせられ、「かっこわるっ」と6歳なりにイキがっていたのですが、インドネシア館の怪しい仮面に見とれているうちに案の定、兄たちとはぐれてしまいワッペンのおかげで無事「迷子センター」に保護されるという屈辱的な思い出もあります。会期中にはなんと22万人以上の迷子がいたそうですが、その中の一人が私です。
 今になってみればすべていい思い出ですが、父の苦労はいかばかりだったか。当時多忙を極めていた父は子供たちのために休みをすべてこのイベントのために使ってくれたのです。父は去年亡くなりましたが、お墓参りの時に改めて感謝の意を伝えました。

 この夏、旅行やいろいろなイベントに連れていってもらった皆さんも多いでしょう。中にはせっかく出かけたのにあまり楽しくなかった、ということもあったかもしれません。でも聞いてください。お父さんとお母さんは一生懸命きみたちのために頑張ってくれたのです。私は47年ぶりに「太陽の塔」と父の思い出に再会しました。みなさんのこの夏の思い出も何十年かの後に、一生懸命なお父さんお母さんの姿とともに懐かしく蘇ると思います。

太陽の塔 インドネシアの仮面(民俗学博物館)
宮地先生