教室だより124

専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)

【連載第124回】

沖縄2

 

 今年は、神の島といわれる久高島(くだかじま)を訪れさせていただきました。去年は、斎場御嶽(セーファウタキ)の拝所から久高島を遥拝させていただきましたが、神聖な背景などに個人的にも感ずるところがあり、満を持しての渡海です。
 久高島には、昔アマミヤ(女神)とシラミキヨ(男神)という二柱の神が東方の海の彼方のニラーハラーから降り立ったという、琉球開闢神話、人創り神話、穀物伝来神話が存在します。島内には聖域が少なくとも十二カ所存在し、そこには原則的に立ち入ることも何かを持ち出すことも許されません。祭祀が年二十八回ほどあり、他にも月毎に行なわれる家レベルの祭祀、十二年毎のイザイホー(現在は残念ながら途絶えています)などの祭祀もあります。近年まで、風葬も行なわれていました。魂(マブイ)は誕生とともに人の体内に入り、死とともに「昇り立ち」、ニラーハラーに向かうものとされています。骨は魂の脱け殻であり、祀られることはありませんでした。祭祀はほぼ女性たちによって担われ、特に祖母と孫娘の絆が強く、完全な母性原理の島でもあります。外間(フカマ)ノロ、久高ノロを頂点に、三十歳から七十歳の神女(タマガエー)が神事を司ります。混沌霊の祟りをとりのぞく御願(ウガン)を執り行うのも女性のティンユタです。島には言霊の力も生きています。全体的に祖霊崇拝の色彩が強いですが、より壮大なコスモロジーも存在します。祖霊とは別次元の存在として太陽神(ティントゥグナシー)、月神(マチヌシュラウヤサメー)が崇められています。この世の島とあの世のニラーハラーをつなぐ外洋(フカ)は竜宮と呼ばれ、海の神である竜宮神(タティマンヌワカグラー)が司っています。竜宮神は島の北端のカベールムイに鎮まっており、その神姿は二頭の白い若駒です。生活のなかには、火の神(ヒルカン)、水の神、便所の神も存在します。火の神は、日本の縄文にまで遡る文化の古層との関連が注目されます。さらに、昼なお暗き森には悪霊が棲み、指に火を灯して漁りをするヒジムナーというどこかユーモラスな妖怪もいます。島全体が一つの宇宙をなしているといえるでしょう。
 当日は、知念安座間港から船に乗って島に向かいました。エメラルド色に澄んだ海のなかにイカの番いがヒラヒラ泳いでいます。島の人はよく夕方に釣って食すそうです。上陸してすぐトゥクジンの拝所で、島の神様に自らの氏名、住所、来意を告げます。すぐに島じゅうの神々に伝達されるそうです。そのおかげか、お借りした自転車で廻る先々で、蝶や鳥がまるで八咫烏のように先導してくれているように感じました。集落は南部に固まっていますので、まずは集落をざっと巡ってから、久高島でしか食べられず、一日何食かで売り切れてしまうイラブー(海蛇)汁に挑戦しました。独特の生臭さがありましたが、これを食せば半年は健康に過ごせるということなので、有り難くいただきました。イラブーは少し前までは、外間ノロ、久高ノロ、外間根家(ニーヤー)の三家の女性しか捕えることを許されていませんでした。土地の豆で作られたおいしいゼンザイもいただいて、勇躍、島一周に向かいました。両側に神聖なクバの木が連なる真っ白な道がまっすぐ続いています。行く前の予報は悪かったのですが、とても良い天気になりました。日差しは強いのですが、どこか柔らかく包まれているような心持ちがします。神聖な場所ははっきりとした境界があるわけではないので、うっかり踏み込んだりしないように気をつけながら進みました。途中、東リ大主(アガリウプヌシ)をはじめとするニラーハラーの神々が神船に載って来訪されるというイシキ浜のそばの森で、オカヤドカリの大群に遭遇しました。島の神様が受け入れてくださり、不思議を見せてくださっているようで、心を揺り動かされました。港に戻り、感謝を胸に帰路につきました。

斎場御嶽    
塾長先生