教室だより149

専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)

【連載第149回】

パリ紀行<2>散策篇

 今回は1週間の予定でしたので、フルに回れるのは四日間でした。到着した日は夕方だったため、近くのバスティーユ広場(フランス革命の発端となった、あの「バスティーユへ!」のバスティーユ監獄のあったところです)とオペラ・バスティーユの外観を、さっと見て回るにとどめました。
 本格的に回れる初日は、最初に、フランスの小説や歴史によく登場し、一度は行ってみたいと思っていた、「ブーローニュの森」を訪れました。パリ市街の西郊に位置し、面積845万平方メートルにも及ぶ広大な森です。かつては王家の狩猟場だったり、革命期の逃亡場所だったり、山賊の棲家だったりと、折々にいろいろな歴史の舞台になってきました。実際に行ってみると、鬱蒼とした感じはなく、木漏れ日の差す明るく洗練された印象の森でした。とても全部は回りきれませんが、パリに住んで散策しているような気分は味わえました。
 そこから凱旋門まで歩いていき、シャンゼリゼ通りを抜けて、「プチパレ」に向かいました。ここはパリ万博の際にシャルル・ジローの設計で建てられ、その後はパリ市立美術館になっているところです。常設展は無料であるにもかかわらず、ギリシアから中世、ルネッサンス、印象派、アールヌーヴォーまで圧巻の作品群に触れることができます。私としては特に、中世絵画とエマニュエル・フレミエ作のジャンヌ・ダルク像に強い印象を受けました。その彫像の神に選ばれし者の至福とともにある種の狂気すら湛えた表情は、ジャンヌに相応しいものに感じられました。見終わったところで、彫刻や泉もあるここのテラスで、昼食をとりました。
 昼食後は、「マドレーヌ寺院」を訪れました。ここは、古代神殿のような新古典主義様式で建てられ、マロチェッティらによる『聖マグダラのマリアの歓喜の像』、アンリ・ルメール作の『最後の審判』、またガブリエル・フォーレが『レクイエム』の初演を行なったことでも知られている教会です。死を「苦しみというより、むしろ永遠の至福の喜びに満ちた開放感」と感じていたフォーレの、あのピエ・イエスが聞こえてくるような気がしました。
 その後、「装飾美術館」に向かいました。ここはあまり知られていませんが、中世から現代にいたる生活のなかで実際に慈しまれていた家具や宝飾品などが展示されている美術館です。中世、ルネッサンスのコーナーでは、アンダルシアの城にあった16世紀の木製の大型レリーフ、17~8世紀のコーナーでは、ポンパドゥール夫人やマリー・アントワネットの愛蔵品のセーヴル焼や銀器など、近代以降では、エミール・ガレなどのアールヌーヴォーの作品、アールデコ調の内装と家具一式を備えたジャンヌ・ランヴァンのアパルトマンを再現した一画、コンテンポラリーコーナーでは、日本のデザイナーの作品も見ることができます。珍しいことに、ジャン・デュビュッフェから寄贈された作品ギャラリーもあります。「用の美」というには貴族趣味的ですが、室内装飾にも興味のある人には、なかなか穴場の美術館です。
 二日目は、まず以前行こうとして行けなかったモンマルトルに向かいました。よく知られている画家や音楽家が隠れ家のようにして暮らしていた芸術の町です。現在は少し治安が悪くて、街路もゴミなどが多く薄汚れた感じがするのが、残念に感じられます。最初に「サクレクール寺院」を訪れました。ロマネスク・ビザンチン様式の白亜の見事な教会ですが、1914年に完成したものなので、やはり新しい印象を受けました。広場からは、パリ市外が一望できます。
 そこから坂の多い道を道を登り降りしながら、エリック・サティの住んでいた場所などを巡りつつ、「エスパス・ダリ(ダリ美術館)」を目指しました。入ってすぐ目に飛び込んでくるのが『記憶の固執』(例のぐにゃりと歪んだ時計)です。他にもロミオとジュリエット、ドン・キホーテ、聖書などから題材をとった作品など、ここはダリの世界最高のコレクションを誇っています。間違いなく彼のシュールな世界が十分に堪能できる空間になっています。ただ、やけに親しげに話しかけてくる女性館員がいて、作品を売りつけられそうになったのには閉口しました。日本人は金づるというイメージもあるのでしょう。
 その後、マルセル・エイメ広場の『壁抜け男』のモニュメント、ゴッホの住居などを巡って、映画『アメリ』で有名になった「カフェ・デ・2・ムーラン」で昼食にしました。トリュフオイルを使ったスクランブルエッグがとても美味しかったです。もちろん、名物のクレーム・ブリュレもいただきました。
 食後は、途中でロートレックがポスターを手がけた赤い風車で有名な「ムーラン・ルージュ」、ルノワールが描いた「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」などの外観を眺めながら、地下鉄でポルト・ドゥ・バンタンに向かいました。音楽シティと科学シティが目当てです。
 音楽シティには「のだめカンタービレ」で有名になった「コンセルヴァトワール(パリ国立高等音楽院)」、パリ管の本拠地である「フィラルモニ・ドゥ・パリ」(よく最も魅力的な現代建築に選ばれています)、そしてなんといっても「音楽博物館」があります。ここには、17世紀から現代にいたるまでの楽器、世界各地の楽器、珍品楽器が展示されていて、オーディオガイドで番号を指定すると、なんとそれぞれの楽器の音まで聴かせてくれます。私は特に古楽器が大好きなのですが、その美しさといったら!音楽、楽器好きには垂涎ものの名器が所狭しと並んでいるさまは壮観ですらあります。巨大なコントラバス(梯子で登るのか?)も興味深かったです。
 ここから、パリで最も大きな公園、ラ・ヴァレット公園を通ってウルク運河を渡ると、科学シティに出ます。途中にはレトロな感じの回転木馬(そう呼びたい)などの遊覧施設もあり、パリ市民が親子連れで楽しんでいます。科学シティには「科学産業博物館」などがありますが、なんといっても目を引くのが「ラ・ジェオード・オムニマックスシアター」です。直径36メートルの球体で表面が鏡になっており、周囲の景色を映し込んでいるさまは宇宙から地球を眺めているような不思議な感覚を呼び起こします。内部は世界でここだけの12.1chの音響システムを備えたシアターになっています。全般的に、近未来都市と呼ばれるのも頷ける場所でした。 
 三日目は、まず「サントシャペル」を訪れました。シテ島にあるゴシック様式建築の傑作です。一階もすばらしいのですが、二階のステンドグラスは本当に息をのむ見事さです。「聖なる宝石箱」と讃えられるのもむべなるかな!
 次に、すぐそばの「コンシェルジュリー」に行きました。ここはもとはあのフィリップ四世のカペー朝の王宮でしたが、1370年から牢獄として使われ始め、フランス革命後の恐怖政治の時代には、マリー・アントワネットらがギロチンにかけられる前に収容されていたところです。王妃が気を失いそうになりながら連れて行かれる場面を描いた絵が掲げられ、実際に彼女が二カ月半を過ごした独房も再現されています。ともすると、おとぎ話の主人公のようにも感じられるマリー・アントワネットの生々しい叫びが聞こえてくるようで、いつしか祈りを捧げている自分がいました。
 そこからはさらに、「パンテオン」に向かいました。ここは聖ジュヌヴィエーヴの丘(マラン・マレの名曲『聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モンの瞳』が思い出されます)に立つ、大ドームとコリント式の円柱が特徴の新古典主義の建物ですが、内部は宗派を飛び越えたフランスの偉人たちの霊廟になっています。祀られているのは、キュリー夫妻、アレクサンドル・デュマ、ヴィクトル・ユゴー、ジャン・ジャック・ルソー、ヴォルテール、エミール・ゾラ、アンリ・ベルクソンなど、総勢70人以上の綺羅星のごとき偉人たちです。無宗派の神殿であること、さまざまな思想的立場の者たちがともに祀られているところに、怨親平等の想いが感じ取れるように思われました。ここはまた、フーコーが振り子の実験を行なった場所でもあり、現在も天井から吊るされた振り子が時を刻んでいます。
 次は、学術機関巡りです。パンテオンに隣接する地域には、言わずと知れた「ソルボンヌ大学」があり、そこからさらに、学生時代に勉強して思い入れのある、ベルクソン、モーリス・メルロー・ポンティ、ミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、クロード・レヴィストロースらが出た「エコール・ノルマル・シューペリュール」、彼らの多くが教壇に立っていた「コレージュ・ドゥ・フランス」の見学に向かいました。どこも重厚で趣のある学舎ばかりで、「これは一途に学問に打ち込む気になるわ」と心底思いました。
 その後、カルチェラタンのカフェでいったん休息を兼ねて昼食をとることにしました。サーモンのカルパッチョを注文しましたが、ボリュームもあり、とても美味しかったです。給仕についてくれた女の子はとても明るく感じのよい子で、一生懸命メニューの説明をしてくれ、日本人だと分かるとありったけの日本語を披露して、写真撮影にも応じてくれました。
 気持ちよく店を出て、最後に「国立自然史博物館」を訪れました。特に「古生物と比較解剖学のギャラリー」「進化の大ギャラリー」を中心に巡りました。前者は一階が比較解剖学の階になっており、アールデコ調の装飾が施され自然光も差し込む開放的な空間のなかに、脊椎動物の骨格標本がずらりと並んでいます。二階は古生物の階で、マンモスや恐竜の骨格標本が展示されています。恐竜好きの私としてはたまりません。三階は貝類、三葉虫などの海洋生物の化石が展示されていて、それはそれで興味が尽きませんが、うれしいことに二階からは吹き抜けになっているため、二階の展示室の向こう側の壁まで見通すことができ、まさに圧巻の眺めでした。進化の大ギャラリーへは、いったん外に出て、植物園のなかを反対側まで歩きます。こちらは前者とは反対にモダンな造りで全体が吹き抜けになっており、基本的に暗めの照明のなか、LEDの光と音響で、日の出から夜までの環境の変化が再現されています。いうなれば美しいナイトミュージアムの雰囲気です。そのなかを、小動物からゾウ、キリン、サイなどの大型動物にいたる剥製の動物たちが、同じ方向に向かって大行進をしています。実際に見ると、圧倒される迫力です。ひとつひとつの剥製にかんしても、表情や動きのあるダイナミックな姿を再現する努力がなされています。こんなにセンスのある博物館にはお目にかかったことがありません。
 四日目は、まずシャン・ドゥ・マルス公園の端から「エッフェル塔」の全景を眺めながら、徐々に徒歩で近づいてみました。パリ万博の目玉として建設された当時は、モーパッサンをはじめとして芸術家たちの猛反対に会いましたが、この種のものをいろいろ眺めてきた現代の眼からすると、これはこれでやはり美しいフォルムだと思いました。
 次は「アンヴァリッド」です。もともとはルイ14世によって廃兵院として建てられたもので、現在も傷病兵が百名ほど暮らしているようですが、そのほかにナポレオンの墓のある「ドーム教会」、兵士のための「サン・ルイ教会」、「軍事博物館」が併設されています。サン・ルイ教会は珍しいパロック様式の教会で、静謐な空間のなかにはフランスが戦勝をおさめた国々の軍旗が掲げられています。もちろん日本のものもあります。戦勝を誇っているという見方もあるとは思いますが、教会であることもあり、やはりそこには怨親平等の祈りがこめられていると強く感じました。
 軍事博物館はこの種のものとしては世界最大のもので、中世の剣、甲冑から世界大戦時の戦車にいたるまで、膨大な武器、兵器が収蔵、展示されています。日本の鎧、兜、日本刀もあります。日本の武士が一番恐ろしい感じがしました。ほかにも、戦場となったところの立体地図展示もあります。函館の五稜郭まであることに妙に感心しました。立体地図はジオラマのように細部まで詳しく再現されています。そんなに時間をかける気はなかったのですが、案に反して昔の武器のひとつひとつが妖しい美しさを湛えていて目が離せず、敷地もかなり広大なうえに各時代の収蔵品も多岐にわたるため、けっこう長時間の滞在となりました。
 そこからは隣接地域にある「ロダン美術館」に行きました。実際にロダンが暮らし、アトリエにしていた「ビロン館」が美術館に改装されたものです。屋内だけでなく広々とした庭園にも作品が展示されていて、あの『考える人』や『地獄の門』はもちろんのこと、愛人だったカミーユ・クローデルのある意味痛々しささえ感じる作品、ゴッホの『タンギー爺さん』まで目にすることができます。ロダンの作品に独特なねじれ、よじれに、彼の深刻な苦悩が滲み出ているのが感じ取れます。また、バルザックとユゴーの像からは、彼が二人に感じ取っていた精神性の違いが強烈に伝わってきました。時間がおしていたこともあり、昼食は庭園で販売していた定評のあるスミレのアイスクリームで済ませました。
 最後は、マレに帰りがてらギャルリー・ヴィヴィエンヌ(パッサージュ)を通って、「ピカソ美術館」(サレ館)に向かいました。ピカソ美術館は各地にありますが、ここは彼自身が収蔵していた作品が中心で、最晩年の珍しい作品も見ることができます。御存知のように、ピカソは各時代ごとに作風を変転させていった画家ですが、ここではそのすべての時代が概観できます。入ってすぐのところにある青の時代の『自画像』から始まり、薔薇色の時代、キュービズムの時代、新古典主義の時代、シュールレアリスムの時代、ゲルニカの時期、晩年にいたる、各時代の作品に触れることができる貴重な空間です。対象の全面に光が当たって光が満ちあふれている故に、かえって平面的にも見えてしまうピカソの作品群。ここでは、ピカソの「ヴィジョン」を体験できる希有な機会を与えられた気がしています。
 何事であれ実際に生で体験することがその後の豊かな可能性を開いてくれるということを、いまさらながら改めてひしひしと感じています。若い皆さんこそ、悔いのないように、どんどんいろんな世界に飛び出して行かれんことを。

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塾長先生