教室だより151

専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)

【連載第151回】

オリンピックの記憶

 来年は、いよいよ2020年。東京オリンピックが近づいてきました。バドミントンや卓球が好調で、メダルが期待されます。真剣勝負の中、どんなドラマが生まれるか楽しみです。今日は過去にさかのぼり、私の子供時代のオリンピックを語りたいと思います。
 1980年モスクワ大会。当時小学生だった私が初めてオリンピックを意識した大会でした。誕生日プレゼントに真っ赤なソ連カラーの「携帯電動鉛筆削り」を買ってもらいました。側面には、大会マスコット・熊のミーシャがプリントされていました。洗練されたデザインだったので、いつも机の上に置いて必要以上にガリガリ鉛筆を削っていました。すぐに内蔵のバッテリーがおしゃかになり、鉛筆一本さえ削れなくなってしまいました。 さて、肝心の大会の方ですが、東西冷戦の影響で日本はアメリカと足並みをそろえる形で、大会をボイコットしてしまったのです。テレビやニュースでも大会の報道はほとんどなく、私の鉛筆削り以上にショッキングな結末が待っていたのです。
 1984年ロサンゼルス大会。アメリカのカール・ルイス全盛期の大会です。陸上男子100m・200m・幅跳び・リレーの4冠に輝きました。特に、幅跳びの印象が鮮烈で、みんな学校の砂場でルイスのシザーズジャンプをまねしたものです。私もかなりアメリカにかぶれていた時期でUSAのTシャツを着て、アメリカの国歌をルイスと一緒に歌っていました。
 1988年ソウル大会。私はもう高校生です。珍事件がたくさん起きた大会でした。陸上男子100mで優勝したはずのベン・ジョンソンがドーピング検査で失格になり、カール・ルイスが金メダルとなりました。一方、女子100m・200mでは、カラフルなマニュキアを塗った長い爪のジョイナーがいまだに破られていない世界記録を打ち立てました。また、レスリングの小林孝至選手がせっかく勝ち取った金メダルを電話ボックスに置き忘れてしまう事件もありました。体操では、清風高校の池谷・西川コンビが大活躍。アイドル並みの人気を誇りました。彼らと同学年の私たちの世代は、夏休みダラダラしていると、「池谷君と西川君はこんなに頑張ったはるのにな~」と親から嫌味を言われたものです。
 記憶をたどると、オリンピックの話題をどこで、だれと、どのように話していたかとても鮮明に覚えています。懐かしいオリンピック映像を見ると、話題を共有していた友達の顔が浮かんできます。来年開かれる東京オリンピックも記録だけでなく世界中の人々の記憶に残るような大会になってほしいものです。

小杉先生