教室だより155

専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)

【連載第155回】

ヒュッゲな暮らし?

 最近、ひとりの若手木工作家さんを応援しています。荒川連太郎という方で、彼とは、昨年六月に昭島のモリパークアウトヴィレッジ屋内会場で開催された、ハンサムジャンクという作家作品の即売会で知り合いました。
 いきなり入口付近で彼の移動式キャビネットに出会い、一般的な眼からすると奇抜とも言えるその形状にすっかり魅入られてしまいました。その日はいったん帰宅しましたが、翌日になってもその強烈な印象を忘れられず、もう一度戻ってしげしげといろんな角度から眺めているところで、「昨日もお見えになりましたね」と彼に声をかけられました。「僕の最初期の作品ですが、よろしかったら」と言われたものの、そんな大物を購入する予定はなかったので、もう一度他の店を周りながらじっくり考えました。しかしいくら検討しようとしても、「これは二度と出会えないかも」という切迫感ばかりが押し寄せてきて、結局また舞い戻って購入予約をしてしまいました。
 それからいくつもの作品を作っていただくことになり、納品のたびに我が家やたまにはどこかの店で、夜中まで料理を囲みながら、いろんなことを語り合うようになりました。また、彼の工房renwoodworksにもたびたびお邪魔しています。
 彼は立川米軍住宅で生まれ、その後伊豆で育ったそうです。日本らしからぬモダンな環境と、日本のなかでも特異な大自然のもとで生まれ育ったことが、彼の今の感性を形作っている部分もあるのでしょう。また、その過程ではもちろん、さまざまな痛み、苦しみ、悩みを乗り越えてきたようです。そのなかで、より大きな広い世界を希求する意欲が育まれたように見受けられます。今では我が家に来ると、哲学、シュタイナー、宗教、芸術の話などにメモをとりながら嬉々として耳を傾け、お勧めの本なども自ら積極的に入手して、熱心に熟読されています。この間なども、私が古書店の安売りコーナーから救出しておいた何十冊かの本を「よかったら持っていって読んで」と言うと、驚いたことに一気に全部もち帰って、読みふけってくれています。
 自分も経験がありますが、人間は何歳になっても生まれ変われるのを改めて実感して嬉しくなります。もちろん、本を読めば創作できるようになるわけではなく、本人の才能、直感、センスがあってこその創作ですが、会話や読書のなかから新たな着想、意欲が湧き出てくる、と彼は言います。
 彼の作品には、シュタイナーにも通じる有機的なものが感じられます。ゲーテの原植物を認識するには、外部的な積み木細工的な思考ではなく、内的ないわば粘土細工的な観照的思考が必要となりますが、彼の作品にもそれが言えるように思われます。彼はどこの土地に育ったどんな性質の木かを深く感じとり、その木の内的力と対話し、それを活かすことを根本として、使用する者の個性、その家に最も適った木質を選択しています。ですからそれは、使用者の手に渡った後も、その環境と共鳴して育っていきます。またそこには、ある意味普遍的で、和でも洋でもない独特のテイストが感じられます。
 いろいろ言葉で言うよりも、見ていただいた方が分かっていただきやすいと思いますので、我が家に来てくれた作品たちを、最後に写真で紹介していきます。 (Facebookをご覧ください→こちら

 

塾長先生