教室だより159

専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)

【連載第159回】

新型コロナに隠されたもの

 COVID-19の影響がまだまだ私たちの生活を縛り続けています。私たちは皆、気を緩めず状況に応じてできるだけ正しい対応をしたいと思っていますが、この状況がちょっと当たり前になりかけている感じもします。その中で、最近改めて考えさせられることがありました。
 3月から新しく受け持ったクラスがありました。私はその生徒たちとは最初の授業で初めて会ったのですが、もうその時期にはみんなマスクをつけていて、その生徒たちも当然マスクをしていました。つまり初対面からお互いずっとマスクをつけて相対しているということです。そのような相手は、皆さんも少なからずいるでしょう。
 7月のある日、その生徒たちが初めてマスクを外した時、私は奇妙な違和感に満たされたのです。「あれ、この子たちこんな顔をしていたっけ?」
 マスクをつけた顔しか見たことがない状態で、私は勝手に生徒たちの口元を想像して、顔の全体像を作り上げていたのです。その像と、実物の顔が違っていて、違和感を感じたのでした。
 そしてそのあと考えました、こういうことが起こっているのは相手の顔についてだけではないのではないか。COVID-19によって隠されてしまい、勝手にこちらの都合のいいように想像してそのものの本当の姿を見損なっているということが、なにかあるのではないか?
 本当は近くでじっと見たり、じっくり顔を突き合わせて話したり、小さい子だったら抱っこしてあげたり、そのようにして今まで見て取れていたことを、私たちは見落としているのではないか。そしてそれも、COVID-19に対する一種の「負け方」なのではないのか。
 コロナ禍の下での生活に惰性的な疲れを感じ始めているこの頃、私は、改めて細かく周りを見回して、見るべきもの、感じるべきことをしっかり受け取っているか、確認していきたいと思っています。

高橋先生