教室だより16
専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)
【連載第16回】
自由って?
よくテストが近づくと、「動物っていいな。勉強しなくてよくて自由で」と言い出す生徒がいます。確かに動物にはテストのような義務はありませんが、はたして動物は自由なのでしょうか?
動物の行動は本能によって決められています。本能はなるほど叡知に満ちたもので、それに従っていればまず間違いはありませんが、自由に選択できるものではありません。
では、人間はどうでしょうか?よく人間はネオテニー(幼態成熟)などと言われます。要するに本能を決定的に欠いており、学習しなければまったく生きていけない、という特徴があります。でも、だからこそ自由になれる条件を備えているわけです。
ですから、自由とは「義務にも本能的衝動にも縛られないこと」と言うことができます。でも一方で、恣意的(勝手気まま)とも違います。自由=自分勝手と勘違いして行動するときは、実はただ本能的衝動にやられているにすぎず、周りと軋轢を起こして他人の自由を奪い、自分も不自由にしてしまいます。したがって、自由になるためには、「外側からではなく、内側から自発的に、正しく考え、行動する」必要があることが分かります。
だいぶ大上段に振りかぶってしまいましたが、普通分かってはいても、人間誰しもそう簡単に自由になれるわけではありません(少なくとも私は簡単にはいきません)。一生少しずつ、前進後退を繰り返しながら実現していくものでしょう。でも、人間にとって自由は一番大事なものですから、方向性だけはもっておくと、少しはスムーズに進むことができるようになると思います。
テストなどという義務は、学習において本当は必要のないものです。義務で「やらねば」と思ってやることは苦しいことですし、本当はやりたくないわけですから、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものです。でも、現実にテストが課されている以上は、次善の策として発想を少し転換してみたらよいのではないでしょうか。自分は高校生の頃、本当はテストが嫌だったと思いますが、こう考えてみました。「自分は将来、いろいろ外国語なんかを読んで、日本に紹介されてない考え方を知ってみたい。でも自分は怠け者である。ところが幸い、学校がテストをしてくれる。これを積極的に利用して自分の力を伸ばしていこう」。最初は無理やりだったかもしれませんが、こう考えてみると、テストも嫌ではなくなり、点数もよくなり、周りからできると言われてますます自分でもその気になり、さらに力がつき・・・と、どんどんよい方に転がっていきました。
人によって、将来の志望はもちろん違いますが、先程も述べましたように、人間は学習しなければ生きていけない存在なのですから、学校の勉強のなかにも何かしら自分が自発的に身につけたいことがあるはずです。まずそこのところを、「自分でやると決め、あくまで実行する」のが、自由の第一歩になるでしょう。
塾長先生 |