教室だより170

専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)

【連載第170回】

海を見ていた午後

 とりたててユーミン(松任谷由実)ファンということはないのですが、私はユーミンの初期の名作「海を見ていた午後」という歌を、ずっと前から愛唱していました。この前ふと、何がそんなにいいのだろうと思って、改めてこの歌を見直してみたのです。歌詞は次のようなものです。

あなたを思い出す、この店に来るたび  坂を上って今日も一人来てしまった
山手の「ドルフィン」は静かなレストラン  晴れた午後には遠く三浦岬も見える
ソーダ水の中を貨物船が通る 
小さな泡も恋のように消えていった

あの時目の前で、思い切り泣けたら 今頃二人ここで海を見ていたはず
窓にほほを寄せて、カモメを追いかける そんなあなたが今も見えるテーブル越しに
紙ナプキンにはインクがにじむから
忘れないでって、やっと書いた遠いあの日

 短い失恋の歌。今はもういない「あなた」の面影をテーブル越しに見るわかりやすい設定ですが、よく見ると面白いところがいくつかあります。
 実在のレストラン「ドルフィン」は、ユーミンファンの聖地になっているようですが、それはさておき、「今日も一人来てしまった」という表現は思いきりたくても思いきれない未練をさりげなく伝えています。「晴れた午後には」って、あなた仕事はどうした?学生?それとも、虚脱状態なのか?
 「三浦岬」と漠然と言われていますが、ほんとはそうは言いません。見えているのは三浦半島の横須賀の先、観音崎方面ですね。そして、そちらが見えるなら、対岸富津岬も見えるはず。ともかく眺望の広さがメロディーの上昇形とリンクします。そして、サビのメロディーに至って、「ソーダ水の中を貨物船が通る」と語られる。確かに貨物船がたくさん通るところです。状況はよくわかりますが、普通の言い方なら、「貨物船が進んでいくのがソーダ水越しに見える」。なんか逆だなと思うと、「小さな泡も恋のように消えていった」と続きます。本当は、「恋が、小さな泡のように消えていった」ですよね。逆な感じを重ねているところがユーミンの狙いだなと思い当たります。確かに、まだ癒えないのに「恋が消えていった」なんて辛すぎるかもしれない。
 2番は淡々と回想しているように始まります。でも2行目で、「窓にほほを寄せてカモメを追いかける」恋人は、つまり私の方を見てはくれないのか?これは「あの時、思い切り泣け」なかった後の二人の無言の状況なのかもと感じます。
 そして、紙ナプキンへの短いメッセージ、今ならLINEしちゃって味がないなあとなりますが、恋人に残すショートメッセージは、あとでユーミン自身が「ルージュの伝言」で、もっとポップに焼き直します。大ヒットしましたが、でも私はこちらのメッセージの方が情緒を感じます。にしても「忘れないで」って何を?私の存在を?あなたの不実を?この状況を?そして「インクがにじむ」というのは、シャーペンや三色ボールペンのような味のない筆記用具ではなく、たぶんブルーブラックのインクを入れた万年筆。そんなものを普段使いしている主人公とはどんなキャラなのか?ちょっと陽水の「心もよう」を思い出すな。と思う間もなく、もう一つの衝撃が。最後の最後に、「遠いあの日」・・・、え、遠いの?ずっと前の失恋?どんだけ引きずっているの?あなたは今いくつ?何回くらい「一人来てしまった」の??

 などと余韻に浸っているうちに、浮遊感のある後奏が進み、曲が堂々とした和音で終わるのです。なんだか不思議な面白い曲です。
  ※「海を見ていた午後」をYouTubeで聴く→こちら(別サイト)

高橋先生