教室だより171

専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)

【連載第171回】

終戦の日に寄せて

 8月6日 ヒロシマに原爆投下 8月9日 ナガサキに原爆投下 8月15日 終戦記念日
日本人がけっして忘れてはならない三つの日付です。毎年8月はTVで戦争関係の特番が多く放送されるのですが、今年は特に多かった印象を受けました。

 終戦の年1945年から今年は76年目。特に大きな節目の年というわけでもないのになぜ?と思っていたのですが、番組を見ているうちにハタと思い当たりました。戦争経験者の方々から生の声が聴けるのはあと数年しかないからだと。

 終戦の年に10歳だった子供も今は86歳、20歳で出征した若年兵はすでに96歳。とうに平均寿命を越えています。戦争体験を肉声で聴くことが出来る時間は恐らくもうわずかしか残されていません。

 私が小学生の頃には「家族から戦争の話を聞いてくること」という宿題が夏休みに毎年出されていました。故郷因島は海軍の造船所があったこともあり、激しい空襲を受けたところです。自宅から3分歩いたところには洞窟状の大きな防空壕がありました。どの家庭のお父さん・お母さんも戦争経験者でした。

 毎年いろいろな話を家族から聞きました。父が日中戦争に出征し、大卒ということで古参兵にいじめられたこと。ハーモニカが上手だったことが父をいじめから救ってくれたこと。爆弾の直撃を受けて父の隣で戦っていた同期が戦死したこと。(父の左肩にも大きくえぐられた傷がありました。)戦艦大和級の巨大空母「信濃」に乗船していた母の兄が、米軍の魚雷を受けて出港後わずか数時間で船もろともに海に沈んで亡くなったこと。母の妹が栄養失調で亡くなってしまったこと。最期に食べたがっていた梨が手に入らず、母が梨の絵を描いて見せてあげた後ににっこり笑って亡くなったそうです。

 今ではもう私が直接話を聞くことができる親族はみな亡くなってしまいましたが、子供の頃に聴いた話は今も忘れることができない強い記憶となって残っています。

 小中学校の教科書には「ちいちゃんのかげおくり」「大人になれなかった弟たちに」「夏の葬列」など戦争を扱った名作が取り上げられています。たとえ又聞きに過ぎない話でも、生徒たちに戦争の悲惨さを少しでも実感を持って伝えられる語り部に私もなることができれば、と終戦の日に改めて思いました。

宮地先生