教室だより181

専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)

【連載第181回】

電車通学

 私は中学、高校、大学すべて電車通学をしていました。中学校、高校が京都府、自宅が滋賀県にあったため、通学時間は1時間強ありました。琵琶湖線の草津駅から乗車し、京都駅で地下鉄に乗り換え、北大路駅で降車します。高3の時に校舎が移転したため、半年間だけ京都駅から奈良線に乗り換え、稲荷駅で降車していました。現在、校舎は大阪よりの長岡京市に移転しています。当時も今の場所に校舎があったとしたら、遠すぎて受験校の選択肢から外していたかもしれません。

 私は一番遠くから通っている生徒の1人だったので、朝は当然早いです。緊急時に学校からかかってくる電話連絡網も一番でした。電車はいつも同じ車両の同じドアに乗り込みます。途中の駅でどんどん友達が合流し、京都駅に着く頃には4~5人になっています。当時は携帯電話など存在しないので、みんなパスケースに自分の駅の時刻表を常備しています。「明日テストやから、ちょい早めの姫路行きのいつものドアな。」「7時5分のやつやろ。OK。」こんな感じで待ち合わせは成立します。時刻表には、姫路行きなら姫、西明石行きなら西、新大阪行きなら新のように書いてあります。自分の乗る駅と友達が乗る駅との時間差は自然に頭に入っているので、後は足し算引き算で乗る電車を特定します。

 大学時代は、前半は三鷹駅から後半は阿佐ヶ谷駅から東西線を使って早稲田駅まで通学していました。直通の東西線一本で行く時もあれば、中央線や総武線で中野まで出て乗り換えることもありました。また、西武新宿線で高田馬場まで出て、大学までのんびり歩いていくこともありました。こんなに多彩な行き方があるのは都会ならではです。田舎ではまず考えられません。さらに、時刻表など気にせずとも次から次へと電車はやって来ます。電車を一本乗り過ごしたとしても、遅刻することはまずありません。私が田舎でやっていたような待ち合わせをやっている人はおそらくいないでしょう。

 現在は、自宅から早稲田学習教室まで自転車通勤です。電車に乗ることはめっきり少なくなってしまいました。電車の中で単語集やテスト勉強をしていた日々がとても懐かしく思われます。

小杉先生