教室だより182

専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)

【連載第182回】

川端茅舎(かわばたぼうしゃ)の“メルヘン俳句“

 中学3年生の国語科では、この時期、俳句を扱うことになっています。教科書として中野区が採用している「光村図書」版の中学三年生国語には、俳句入門のエッセイとして、「俳句の可能性」宇多喜代子、また「俳句を味わう」として、近代、現代の俳句9句が紹介されています。その9句の中には
 高浜 虚子(きょし) 「流れ行く大根の葉の早さかな」
 中村 草田男(くさたお) 「萬緑(ばんりょく)の中や吾子(あこ)の歯生え初(そ)むる」
 水原 秋櫻子(しゅうおうし) 「冬菊(ふゆぎく)のまとふはおのがひかりのみ」
 尾崎 放哉(ほうさい) 「咳をしても一人」
といった有名作品と並んで、川端茅舎(ぼうしゃ)「金剛(こんごう)の露ひとつぶや石の上」が挙げられています。季語は「露」で秋、「金剛」は仏教語で壊れえないすごくかたいもの、または金剛石=ダイヤモンドです。万葉の昔からはかなく消えるものの代表だった「露」を、「金剛の」と隠喩するところに見どころがある句です。「石の上」はもちろん「石の上にも3年」を連想させて、一瞬と長い年月が露のきらめきの中で交錯する名作です。
 しかし、俳句は今の中学生にとって、短歌と比べてもあまりにも短く、手ごたえのない詩形です。現代の作品なのに「かな」「けり」と古臭い言葉を用い、自分の生活と全く縁のない世界だと感じている中3生が大部分ではないでしょうか。修学旅行に無理やりかこつけて、俳句を奈良京都で作って来い、なんていう課題が出される時もあるようですが、往々にして川柳のお笑いに傾きます。自分の問題として俳句を実作するのはなかなかハードル高いですよね。
 さてそこで、少しでも俳句に好感を持ってもらうために、私が勝手に俳句の一ジャンルと考えている“メルヘン俳句”の名手、先ほどの「金剛の露」の作者・川端茅舎(ぼうしゃ)の作品を紹介します。明治30年東京日本橋生まれ、正岡子規(しき)と同じく肺病を病み、昭和16年に44歳で亡くなった俳人です。兄は有名な日本画家川端龍子(りゅうし)、茅舎自身も若い頃は画家を志し、「麗子像」で有名な岸田劉生(りゅうせい)に弟子入りしていますが、病が嵩じてその道を諦めています。高浜虚子の雑誌「ホトトギス」を中心に活躍しました。生涯独身、病と闘いながら俳句を極め、師匠の高浜虚子をして「花鳥(かちょう)諷詠(ふうえい)真骨頂(しんこっちょう)(かん)」と言わしめた天才、その作品世界は「茅舎浄土」 と称えられました。オノマトペの名手としても有名で、露を詠った名作の数々から「露の茅舎」と言われることもありました。
 では、川端茅舎(ぼうしゃ)のメルヘンな俳句を8句、紹介します。小さいものに向ける真剣なまなざし、パステル画の温かみ、その中にしみ出る生の寂しみ。ぜひ、声に出して読んでみてください。
「ひらひらと月光降りぬ貝割菜(かいわりな) 
 スプラウト(若芽)のかわいらしさと、ほの白さ。小人が出てきそうです。
「露の玉蟻(あり)たぢたぢとなりにけり」
 小人コロボックルの目が、茅舎(ぼうしゃ)にはあるのでしょうか。
「ぜんまいののの字ばかりの寂光土(じゃくこうど) 
 これも小人ものですね。ちょっと「ナウシカ」の腐海の森のような不思議な光がさしています。
「花杏(はなあんず)受胎(じゅたい)告知(こくち)の翅音(はおと)びび」   
「ワンピース」のビビではありません笑。あんずの花盛りに天使ガブリエルと蜂の翅の連想です。
「約束の寒(かん)の土筆(つくし)を煮て下さい」 
 煮て下さいって、しゃべったままが俳句?そうなんです。かわいらしいですね。
「銀杏(いちょう)ちる童男(どうなん)童女(どうじょ)ひざまづき」
 ちょうちょのような黄色い落ち葉を拾う子どもたち。
「蟻地獄(ありじごく)見て光陰(こういん)を過しけり」
 孤独は創造の源であり、また「地獄」でもあるのでしょうか。
「良寛(りょうかん)の手鞠(てまり)の如く鶲(ひたき)来し」
 黄色いかわいらしい小鳥、キビタキでしょうか。良寛さんと言えば、「霞(かすみ)立つ永き春日に子供らと手まりつきつつ今日も暮らしつ」などの元祖「メルヘン短歌」、ここに小さいものを愛惜する詩歌の伝統が受け継がれています。 

高橋先生