教室だより9
専任講師陣によるエッセイ(毎月20日更新)
【連載第9回】
一生懸命になってはいけません
ものすごく綺麗にノートをとっているのに、テストの点はそれほどでもないという生徒がいます。おそらくこれは、「綺麗にノートをとる」ことに一生懸命になりすぎて、「そこに書かれている内容を理解する」という最も重要なことに集中できていないのです。
自分が一生懸命になっているときには、実は最も肝心なことに対して、頭が空っぽになっていることが多いのです。たとえば一生懸命話しているときには、相手の反応や気持ちなんか考えずに一方的にまくしたてているだけ、ということが多いのではないでしょうか。一生懸命だとなにも見えなくなり、なにも考えなくなります。よい結果を出すためには、集中しないとだめなのです。一生懸命とは、「直面している行為の実現に、我を忘れること」であり、集中とは、「目的実現のための最善の行為をとろうとすること」と解釈してください。一生懸命と集中は違うのです。
私は授業中に怒ることが滅多にありません。特に、その生徒の出来が悪いからといって怒ることはまずないのですが、数年前、授業中に一人の生徒を強く怒ってしまったことがあります。
その生徒は、問題をよく読まずに軽率に答えを書いてしまい、志望校の過去問を解くたびにケアレスミスで10点も20点も失点してしまうのです。何度注意してもいっこうにミスの減らないことに業を煮やした私は、受験一ヶ月前に、「こんなんで受かるわけないだろっ!」と、とうとう本気で怒ってしまいました。
「出来が悪い」という理由で生徒を怒ってしまったことで、私はかなりの自己嫌悪に陥ってしまったのですが、その生徒は無事に志望校に合格してくれました。
その後、「あのとき怒って悪かった」と話をしてみると、「俺、あのとき怒られてたんだっけ?」と拍子抜けの答えが返ってきました。それどころか、「あのとき強く言ってもらって、本当によかった」と感謝されました。入試本番では、これ以上できないほど何度も注意深く問題文を読み、見事93点という高得点を取ったそうです。
そのとき私は、ただ怒ることに一生懸命になっていたのではなく、彼の現状をよく見た上で、「彼の合格のためには、ここで強く怒ることがどうしても必要だ」と考えることに、ぎりぎりのところで集中できていたのでしょう。もしも怒っているうちに、「自分の怒りの強さを伝えること」や、「自分の主張の正しさを理解させること」に一生懸命になってしまっていたら、私のメッセージは伝わらなかったのではないかと思います。彼は志望校の合格ラインぎりぎりで勝負しており、このままでは本当に危ない、と思っての苦渋の選択でした。
「人を教える」ということは一生懸命になりやすく、つい熱くなって、自分の思いを一方的に生徒にぶつけてしまいがちです。生徒はその一生懸命さが、本質的には自分のためのものではないことを敏感に感じ取ります。一生懸命に自分の思いを伝えようとしても、生徒をよく見ていなければ肝心なことはなにも伝わりません。よい結果を出すためには、教師は一生懸命にならずに、集中しなければならないのです。
さて、なぜ私がこのようなことを書いているかというと、実は最近、久しぶりに一人の生徒を強く怒ってしまったのです。なんだか一生懸命怒ってしまったような気もします。ああ、自信がない・・。はたして私はそのとき集中できていたのでしょうか?彼に私の真意が伝わっていればいいのですが・・・
宮地先生 |