塾長先生の部屋

 

■受験をめぐって

 日本の受験制度は、遅刻・欠席をせず、できるだけ短時間で効率よく正確に知識を身につけ、時間内にミスなく正答を導き出すことを求められるという点で、明らかに生産力至上主義に立っています。その点では、あまり感心できるものではありません。
 しかし、志をもって主体的に利用していくなら、いろいろ将来の役に立つ能力を身につけられるものになりうる、と思われます。
 たとえば、雑念を挟まず、一つのことを集中的に思考する力を培うことにとり組むことができますし、ふだん習慣になっていない一つの行為を、延引せずに毎日実行することにも挑むことができます。やってみると、日常の思考や日常の行為などが、多くの場合、恣意や副次的なものによって決められてしまっていることに気づき、本質的なものに向かうことができるようになります。
 学というのは、総じて真理追求の欲求であり、それは疑問をもち、認識を求める欲求です。そして、認識というのは、感覚的知覚だけでなく理念を必要とします。理念は、とりあえずは思考の内部で、いわば精神的知覚によって捉えられます。たとえば、幾何学的法則は何ら外的知覚に拠っておらず、自らの精神内で法則を捉える者にしか観えてきません。三角形のイデアの話はどこかで聞いたことがあると思います。もっともそれは、大陸合理論のように思考に閉じ籠もることや、カントのように先験的(経験に拠らない、アプリオリな)判断をこちらから感覚的観察に投げ入れることを意味しません(それだと不可知論になってしまいます)。かたや、経験論の帰納法になると、逆に感覚的知覚の権利が過大で、これでは粘土や木があれば家が建つと言っているも同然です。これは個物からなる多数から抽象する科学の基になっている見方ですが、もちろん人間の思考がなければ家は建たないのは自明のことです。理念と豊かな感覚的知覚が一体となって一元的に現実を認識していくのが、目指すべきところです。さもなければ、千差万別なカエデの葉を見て、それらが同じカエデという植物の葉だと判断できなくなってしまうでしょう。
 普段、普通に生活していると、なかなか純粋思考に浸る機会をもてない人も多いと思います。やらされているのではなくて、自分で決めたことをやり抜く意識で、言い換えると、まったき自由な立場からとり組んでいけるなら、受験勉強も苦痛なく前向きに進めることができ、有意義なものになるでしょう。

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