高橋先生の部屋(バックナンバー5)
俳句日日録 その五 (二〇二四年二月十三日)
何事もなくて春たつあしたかな 井上士朗
立春の代表句です。作者は江戸時代後期に尾張で活躍した俳人。「無事に新年を迎えられて感謝!」という内容です。「あした」は、朝のこと。俳句では、何もなかったことが作品になるんですね。前回持ち越した、「だからどうした」問題がまた持ち上がります。「だからどうした」俳句の究極は、正岡子規の
鶏頭の十四五本もありぬべし
です。鶏頭(けいとう)という赤黒い園芸草をご存じですか。「鶏頭が庭に十四本か十五本きっとあるだろうな。」って、声を大にして「だからどうした」ですよね。ここが俳句という文芸の正念場。戦後すぐに桑原武夫という有名な文芸評論家が、(ものすごく縮めていうと)俳句や短歌はこんな「だからどうした」の世界をちまちま歌ってるからだめなんだと『第二芸術論』という本の中で言って、大騒ぎになりました。だって、俳句や短歌は、二流の芸術だというんです。これに対して、俳句擁護の側に立つ山本健吉が、『現代俳句』という本のなかで、この「鶏頭の」の句について、渾身の評論を展開しています。一部を引用紹介します。
「私はさきに断定と言ったが、断定はまた発見の驚きでもある。鶏頭の武骨さ、平凡さ、ぶざまさこそ鶏頭の宿命にほかならぬという発見である。言い換えれば、「十四五本もありぬべし」というありようは、鶏頭のもの自体なのだ。そこには鶏頭の法則が顕現されていると言ってもよい。だからこの作品のレアリテイを支えるものは、外界ではなく、外界に触れて発する作者の側の発見の驚異であり、ものの根源まで見透かす作者の心眼であり、思想である。」 難しいですが、少し「だからどうした」に薄日が差してきた気がしませんか。私はさらに考えていきたいと思います。さて、
立春五句
黒く太く堅き真冬の大桜
白鶺鴒(はくせきれい)枯野を寿(ほ)ぎてチチと飛ぶ
雪玉をミトンで包み子の放る
小澤征爾逝く
厳寒の訃報よ耳にアダージェット
背伸びしてミモザのつぼみ小さき珠(たま)
次回は立夏の頃に掲載できればと思っています。