高橋先生の部屋
俳句日日録 その六 (二〇二四年七月十六日)
算術の少年しのび泣けり夏 西東三鬼
一九〇〇年に岡山で生まれた天才俳人西東三鬼(さいとうさんき)の代表句です。算数の問題が解けない、外に遊びに行けない、ああ、夏休みなのに!という心の叫びが聞こえてきます。
今回は、俳句という文芸の意味というよりは、一歩離れて俳句を作ったり読んだりすることの効用について書いてみようと思います。日々の雑事に追い回されて、周りが見えなくなり、息が上がってしまう私たちですが、俳句を作ろうとするときには、ちょっと息をついて、周りに対して、日常から少し離れた見方をしようとします。頭の中の「to
doリスト」を一瞬忘れて、目の前の朝顔の紫色をよく見ようとします。
朝顔の紺の彼方の月日かな 石田波郷
俳句を読むときも同様の心の状態になるはずです。その時、水平の日常の時間軸とは異なる時間の中で、ものやことに出会うのです。それをおもしろいと思って私は俳句とつきあっているのですが、「効用」ということで言えば、そこから戻ったときに日常を違った目で眺められるかもしれません。日常のストレスが、少し軽いものに見えているかもしれません。俳句は、一瞬で違う時間軸に飛べるとても巧妙な仕掛けなのです。
冒頭の俳句も、省略が効いた表現ゆえに、読む人それぞれが「遠い目をして」何かを、自分の子ども時代を、あるいは自分の子どもの子ども時代を思い起こす作品ではないでしょうか。
さて、立夏に上げるはずが、すでに小暑を過ぎてしまいました。この時期に作った俳句を並べてみましょう。
盛夏五句
追熟の香に急かされて梅仕事
三つ葉咲く固き思いのちりぢりに
梔子(くちなし)の群れ咲く野辺の祠(ほこら)低し
荷物来て猩々蠅(しょうじょうばえ)も田舎の出
窓開けよ梅仕事納め白い雲
次回は秋に。